神野大地2度目のケニア合宿へ 五輪目指す元“山の神”を直撃
今年の箱根大学駅伝は東海大が悲願の初優勝を果たした。5連覇を狙った青学大は往路の4区、5区の失速が響き、2位に終わった。青学大の初Vは2015年。山登りの5区を走った神野大地(3年)の快走が優勝の原動力になった。卒業後は実業団を経て、昨年5月からプロランナーになった。マラソン選手として2020年の東京五輪を目指す神野は間もなく、昨年に続き2度目のケニア合宿に向かう予定だ。その意義と今後について聞いた。
■これ捨てるの?
――昨年7月、約2カ月間ケニア(標高2300メートルのイテン)で合宿を行いました。そこで見たことは大きな刺激になったそうですね。
「収入なんてほとんどない若者たちが、自分の可能性を信じてマラソンに懸けている。みんな一獲千金を夢見ているのです。シューズなんて『これ、何年履いているの?』というぐらいボロボロで、ウエアもバラバラ。大会に出られない選手はシューズを買うのが難しいので、ウエアが上下揃っている選手は実力がある証拠です。僕は2カ月で10足つぶしましたが、シューズの裏が削れているぐらいで捨てるなんてケニアでは考えられない。『これ、捨てるの?』と聞かれるので、みんなにあげました。宿舎にしていたホテル従業員の女性の靴も相当使いこまれていました。履かなくなったものを渡すと大喜びでした。その従業員は朝6時出勤で夜の9時まで働いて日給が日本円で約700円。それでも現地ではいい方だと。ケニアの平均月収は約7000円と聞きました」
――ケニアの現実に大きな衝撃を受けた。
「ええ。実業団を辞めて、プロになるときは大きな決断でしたが、僕の覚悟なんて小さいものだと気付かされました。覚悟の重みがまるで違う。中学生から陸上をやってきて今は25歳。この年齢でケニアの環境を知ったことが早いのか、遅いのかわかりませんが、本当に良かったです。帰国してからの練習への取り組み方も変わりました。ケニアを練習拠点にしたいとさえ思う。もしも10年前にケニアの現実を知っていれば、今ごろどうなっていたか……」
■駅伝との両立は無理
――それにしても、在籍していた実業団の陸上部は強豪ですし、会社もしっかりしている。そこを辞めてなぜプロになったのですか。
「実業団にいれば給料はもらえるし、合宿費もかからない。練習環境もすごくよかった。でも、東京五輪や世界で戦うことを考えた時、実業団にいては僕の場合は難しいと思った。実業団は駅伝があるのでマラソンのための練習は限られます。駅伝もマラソンも両方できる才能が僕にはないというか、その点は弱さです。会社にはよくしてもらっていたし、親も会社に対してずいぶん愛情を持っていた。『会社を辞めて、この先やっていけるのか?』と心配されましたが、後悔する選択はしたくなかった。『そこまで言うなら』と親にも納得してもらいました」