ノートのコピーが自らの首を締め…功名心に負けた阪神時代
選手全員に渡してあるというのだ。
仰天である。耳を疑った。これは野村監督、「計算違い」だと思った。すべて裃を着たようなものではないか。
■ヤクルト時代からコペルニクス的転回
「野村ノート」はヤクルト時代、選手にメモを取らせたから効果があったはずである。「野村の考え」を理解させ、指導に役立てた。それを安直に「読みなさい」で身につくだろうか。
ヤクルト時代、「オレはチーママやからな」と球団に憎まれ口を利いた。選手補強にはとくに不満を公言したが、これは、それならオレが選手育ててやるわい、というバネになり、同時に、自分のストレス解消につなげているところもあった。
選手を褒めるなどまずないことで、「オレは褒めるのがヘタやから」というのが、ヤクルト時代の野村監督だった。
それがいきなり、コペルニクス的転回である。これは監督、選手を乗せて勢いづけて、1年目からあわよくばと考えたのだろう。実績を買われて、というプライドと、大阪の人気球団という看板に負けたのだと思う。