セクハラ報道に株で逮捕…地に落ちた「3冠監督」のその後
そして、前後して好事魔多し。週刊誌上で日立での選手指導の際にセクハラを行っていることを大きく報じられ、山田は常務理事を退任。日立も解雇を通達し、バレーボール界から姿を消した。
その後の山田は、株取引の違反で逮捕されるなど、晩年は悲惨だった。98年2月5日、66歳で亡くなった際は、葬儀は親族のみで行われ、バレーボール関係者の姿はなかった。
生前、山田は言っていた。
「ソ連のバレー関係者に『山田、バレーを辞めても友人を少なくとも4人はつくっておけ』と言われた。つまり、死んだときにひつぎを担ぐ4人をね」
没後8年目の2006年7月。発祥の地・アメリカのバレーボール殿堂入りが発表され、山田重雄の名誉は回復した。
▽やまだ・しげお 1931年、静岡県生まれ。東京教育大(現筑波大)卒業後に高校教員を経て女子バレーボールの日立監督に就任し、日本リーグ優勝18回。五輪監督は68年メキシコ大会銀、76年モントリオール大会金、84年ロサンゼルス大会銅。2006年にバレーボール殿堂入り。