著者のコラム一覧
六川亨サッカージャーナリスト

1957年、東京都板橋区出まれ。法政大卒。月刊サッカーダイジェストの記者を振り出しに隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長を歴任。01年にサカダイを離れ、CALCIO2002の編集長を兼務しながら浦和レッズマガジンなど数誌を創刊。W杯、EURO、南米選手権、五輪などを精力的に取材。10年3月にフリーのサッカージャーナリストに。携帯サイト「超ワールドサッカー」でメルマガやコラムを長年執筆。主な著書に「Jリーグ・レジェンド」シリーズ、「Jリーグ・スーパーゴールズ」、「サッカー戦術ルネッサンス」、「ストライカー特別講座」(東邦出版)など。

女子プロリーグ 岡島初代チェアは国立競技場のウグイス嬢

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 ちなみにアルバイトの報酬は……やや記憶は薄れているが、弁当とバイト時に着ていたナイロン製の薄手のヤッケだったと思う。

 鮮明に覚えていることがある。

 バックスタンドのタッチラインを割ったボールをパイプイスから立ち上がって追いかけ、小脇に抱えてピッチに近付いて(当時28歳の)釜本邦茂選手に手渡したことだ。

 前後半の90分間でボールに触ったのは、この1回だけだったが、初めて間近で見た釜本さんは背が高く、とても<大きい>という印象を抱いた。

 それにしても1972年と言えば、当時の西ドイツからウーベ・ゼーラー(西ドイツ代表としてW杯に4回出場)率いるハンブルガーSVが来日したり、ブラジルからキング・ペレ(サントスFC)が初めて訪れた日本で鮮やかなシュートを決めたり、イングランドから古豪コベントリー・シティが来日したり。ワクワクしっぱなしの1年でもあった。

 時は流れ、1981年にサッカー専門誌に就職することができた。まだまだサッカーがマイナーな時代だった。当時の担当は、JSLと日本代表(たまに女子代表)で初めての出張が8月、岡山で開催されたJSL東西対抗戦だった。

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