女子プロリーグ 岡島初代チェアは国立競技場のウグイス嬢
早大時代は、アルバイトとしてJFAの入っていた岸記念体育会館(アマチュアスポーツの総本山)に通い、高校サッカー選手権では場内アナウンス(いわゆるウグイス嬢)として「ただ今の得点は……」とマイクに向かっていた。
岸記念体育会館や高校サッカーの試合会場などで遭遇していた可能性もあり、それで「どこかで聞いたような……」と記憶の片隅に残っていたのかも知れない。
岡島チェアが、就職先に外資系企業を選んだのは、英語が堪能だったことに加えて「土曜が休みだったのでサッカーの練習に行ける」ことが重要だったという。根っからのサッカーガールぶりには、同時代を生きた者として感銘を受ける。
そういった岡島チェアの話を聞きながら、中学3年のときに国立競技場でボールボーイのアルバイトをやったことをふいに思い出した。
サッカー仲間(サッカー部仲間ではない。通っていた中学にはサッカー部がなかった。それは生まれ育った板橋区では普通だった)のお姉さんがウグイス嬢をやっており、その縁で1972年8月に国立競技場で開催されたJSL(日本サッカーリーグ)の東西対抗戦(試合は4ー2で西軍の勝利)のボールボーイができることになった。