柔道大家・神永昭夫氏が見抜いた小久保裕紀の“大器の資質”
神永さんといえば、1964年東京五輪の無差別級で銀メダルを獲得。バルセロナで日本柔道の総監督を務めた柔道の大家は、新日鉄名古屋で、野球部に関わっていたこともある。
「あの選手は誰なの?」
「唯一、学生から選ばれた青山学院大の小久保です」
「彼が小久保君か。きっと、ああいう選手が日本の野球界を引っ張っていくんだろうな」
私がその理由を尋ねると、神永さんは感心しながらこう言った。
「部屋の窓から外を見ると、毎晩、洗濯場の横で素振りをしている選手がいて、気になってたんだ」
「そうでしたか。それは初めて知りました」
「彼の素振りを見ていると、遠目にも物凄い迫力が伝わってくるんだよ」
小久保はチーム最年少で、洗濯係などの雑用をこなしていた。洗濯機を回している間、その横で一心不乱に素振りをしていたというのだ。
一流は一流を知る、とはこのことを言うのだろう。後にプロで通算413本塁打、2041安打を放った小久保はプロ入り後に「プロ野球界では日本一、バットスイングをしているはずです」と話したことがある。同じことを言うプロ野球人は少なくないだろうが、小久保のことだから、本当にひたすらバットを振り続けたに違いない。 (つづく)