ザ・グレート・カブキさん 怪奇派レスラーは居酒屋を経営
毒霧のアイディアはシャワー中に着想
さて、1948年9月8日、宮崎県延岡市に生まれたカブキさんは、中学卒業直後の64年3月、故・力道山率いる日本プロレスに入団。同年10月に宮城県石巻大会で山本小鉄さんを相手にデビューした。
そして70年に渡米。武者修行を続けながら全日本プロレスに移籍し、日米両方のマットで頭角を現した。
ザ・グレート・カブキが誕生したのは、81年のテキサス州ダラス。当時のマネジャー、ゲーリー・ハートのアイデアだった。
「法被や般若の面をつけた連獅子姿とか、鎖帷子に鎧兜、手には日本刀って忍者風のコスチュームでリングネームも変えたら、大ウケしたんだよ」
さらに緑と赤の毒霧を吹き上げるパフォーマンスで人気は不動となった。
「シャワー浴びてた時に、口に含んだ水を天井に向けて吹き上げたら照明に映えて虹が出た。『これだ!』って思ったね」
試行錯誤して見栄えのいい緑と赤にたどり着き、会場では照明の位置によって吹き上げる方向を変えたという。
「ギャラも上がった。それまで週に200とか300ドルだったのが500、1000、2000と急増して、ビッグマッチは1試合で2万ドル。1ドルが250円前後だったからデカいよね。ただ、その頃の家族に全額送ってたから、俺は見てないんだけどさ。アハハハハ」
83年に逆輸入で凱旋帰国。全日本プロレスではジャイアント馬場をもしのぐ大人気で、どこの会場でもひと目見たさに観客が押し寄せたものだ。
その後は、SWS、WAR、新日本の平成維震軍などで98年まで活躍。プロレス活動を休止して以降も、昨年4月に引退した女子プロレスラー、コマンド・ボリショイ選手らにヌンチャクを指導するなど、プロレス界ではレジェンドとして君臨してきた。
なお、1月25日に越中詩郎らと共著で「平成維震軍『覇』道に生きた男たち」(辰巳出版)を出版。昭和、平成のプロレス界の実像を紹介している。
(取材・文=高鍬真之)