プロ野球契約更改の内幕 コレが悲喜こもごも“密室の現場”
プロ野球の契約更改が各球団で行われている。 今季はコロナ禍の影響で集客が激減。どこも金庫に余裕がなく、中日のように厳冬更改で保留者が続出した球団もある。それでも、セの本塁打、打点の2冠を獲得した巨人の岡本和真(24)が7000万円増の年俸2億1000万円を勝ち取ったように、サラリーマンの目がくらむようなカネを手にできるのがプロの世界だ。近年は代理人制度が定着しているものの、交渉の場では多くの選手がスーツに身を包んで球団の担当者と対峙する。
元選手・コーチの証言から、「密室の現場」をのぞいてみた。
■球団にやんわりお伺い
「まず、おおまかな流れを説明すると……」
ヤクルト黄金時代の名外野手として知られる飯田哲也氏が続ける。
「契約更改は球団事務所の一室で行われ、球団側の出席者は球団代表か編成のトップに相当する人と、それに査定担当。つまり、2対1で交渉するのが恒例です。選手が席に着くなり、『来年はこの金額でやってくれ』と球団側が翌年の年俸額を記した紙を提示する。それを見て、選手は金額の根拠、査定のポイントを質問し、球団側の説明を聞く。当然、選手としては少しでも給料を上げて欲しい。説明を聞きながら、『今年は守備の方でこれだけ頑張ったんで、考慮してくれませんか』とか『でも、他球団で同じくらいの成績の選手はもっともらってますよ』などと要望し、実質的な交渉が始まります。とはいえ、あまり強気に出て球団に『面倒くさいヤツだ』とにらまれるのも損だと考えるから、やんわりとお伺いを立てる形になりましたね。球団の査定担当は、『この数字はこうで、こうだから』と丁寧に教えてくれるので、微増ならまだしも、なかなか大幅アップは難しい」
そこで丁々発止やり合う選手もいれば、ほどほどに引き下がる選手もいる。飯田氏は後者だったという。
「保留した記憶もありません。そもそも、想定していた金額とよほどの開きがない限り、保留はしないもの。保留する選手の多くは、自身を過大評価しすぎている。球団側が成績を不当に過小評価したという例は、僕以外でも聞いたことはありません」
■200ページの独自データ
ロッテの守護神として活躍した小林雅英氏は「僕は入団1年目に、1度だけ保留をしました」と、こう話す。
「金額に不満があったわけじゃありません。プロの査定はどのようなものか、考える時間が欲しかったからです。ロッテの場合、契約更改に出席する球団サイドは2人ないし3人。こっちはひとりですから、雰囲気にのまれたままサインをする選手もいるでしょうね。僕は社会人を経由して入団したので、そのあたりは高卒や大卒選手とは少し見方が違ったのかもしれません」
選手の中には資料を作って持ち込み、長々と交渉する者もいる。2007年には、ヤクルトの5年目右腕・館山昌平(現楽天二軍投手コーチ)が契約交渉の席に祖父がつくったという200ページに及ぶ独自の査定データを持参。当時はまだ一般的ではなかった、6回3失点以内というクオリティースタートのデータなどを盾に年俸アップを要求した。
交渉役だった大木査定担当は「最初の提示額より300万円増額しました」と日刊ゲンダイに述懐している。
もっとも、これはレアケース。多くの選手が交渉材料とする“一夜漬け”の資料では百戦錬磨の球団側に玉砕するのがオチだ。
ある選手は「試合ごとに自分で自分を査定して数字をつけていたが、球団の査定は自分の作ったものより、よほど緻密。逆に球団に『君の作った資料には書かれてないが……』と、付け込まれる口実をつくってしまい、完全にヤブヘビだった」と嘆く。餅は餅屋のことわざ通り、交渉のプロである代理人に任せる選手が増えたのも無理はない。