2年連続V逸巨人から入閣要請 契約結ぶ直前“清武の乱”勃発
「おまえ、どうする?」
巨人の原辰徳監督が私にこう言った。
「監督、どうするって言われても、仕方ないから、そのままでいいですよ。その代わり、日本一になったら給料を上げてください。死に物狂いで頑張ります」
「よし、OK」
◇ ◇ ◇
2011年、巨人は3位に終わり、2年連続でリーグ優勝を逃した。清武英利球団代表兼GMから「日本一になるためにチームを大きく変えたい」と声が掛かった。私はこの年、BCリーグ群馬の監督を務めていた。巨人は統一球への対応に苦しみ、チーム打率はリーグ4位の・243。1点差試合を23勝27敗と負け越していた。課題は明白だった。
数回の面談を経て東京・大手町の球団事務所に呼ばれた。「これで」と年俸を提示されて驚いた。05、06年に在籍した中日の捕手コーチ時代の年俸、さらにBC群馬の監督時より下の額だったからだ。
他のコーチには「巨人は給料がいいぞ。楽天の監督くらいもらえる」と聞いていた。それが、契約金もなし。一軍バッテリーコーチの入閣要請は受諾したものの、「せめて中日の時ぐらいは……」と訴えた。その場で条件面はまとまらず、清武GMには「バッテリーコーチとして宮崎(11月7日から始まる秋季キャンプ)に行って欲しい。そこでゆっくり話そう」と言われた。私は同1日の会見に出席し、「僅差の試合をものにできるチームづくりが日本一への道」と抱負を述べ、宮崎へ飛んだ。