野村監督1年目の開幕戦「捕手クビ」を招いた疑惑の本塁打
私はヤクルト4年目の1988年に正捕手に定着した。先週、一周忌を迎えた野村克也氏がヤクルトの監督に就任したのは、私が6年目を迎える90年のことだ。
ケチのつき始めは、私がスタメンマスクをかぶった敵地・東京ドームで行われた巨人との開幕戦だ。
ヤクルト2点リードで迎えた八回裏、走者を1人置いて、巨人の篠塚利夫(現・和典)さんが先発の内藤尚行からライトへ放った大きな飛球は、明らかにポールの外側だったように見えたが、判定はホームラン。野村監督が激しく抗議するも、覆らずに同点となった。ベンチに帰ると、「外す球なのに、内角へのスライダーは配球として違う」と指摘された。
この試合で一塁が空いている場面があった。カウントは3―0で、ここは大事に一塁を埋めていいと思い、カーブを要求。四球を与えた配球も問題視され、ベンチで厳しく問い詰められた。
「おい! 何であそこでカーブなんや?」
「打ってくるような気がしました。一塁も空いていましたし」