右手骨折で強行出場 4年連続で獲得した盗塁王への思い入れ
右手有鉤骨骨折が完治しないまま、有藤通世監督の鶴の一声で一軍へ緊急昇格した私は、復帰戦となった西武戦で3安打1盗塁をマーク。翌日の同戦でも、1安打1盗塁とチームの連勝に貢献することができた。
こんな状態でも意外と打てるもんだなと思ったりもしたが、右手はスイングするたびに痛みが走った。10キロ台まで低下した握力を取り戻すべく、自宅や球場ではバケツに入れた生米を握ったりもした。
徐々に痛みがなくなり、握力も戻っていったが、本当に気にならなくなったのはシーズン終了後だった。
今となっては、無理をしてでも使ってくれた有藤さんに感謝している。この1989年は、96試合出場にとどまったものの、規定打席に到達。42盗塁で4年連続の盗塁王のタイトルを獲得することができたからだ。
当時は黄金時代を築いていた西武の辻発彦さんや、秋山幸二をはじめとするライバルが多かった。少しでも復帰が遅れていればタイトルは取れなかったかもしれない。
私の最大の武器は足の速さ。だから、盗塁王には思い入れが強かった。初めてタイトルをとった86年は、足が壊れてもいいというくらいの気持ちでプレーした。