右手骨折で強行出場 4年連続で獲得した盗塁王への思い入れ
■左膝が悲鳴
30盗塁を目前にした7月、ナゴヤ球場での近鉄戦で三盗を試みて三塁ベースへスライディングした際に、左膝の靱帯を損傷。1カ月半ほど離脱した。リハビリの過程でハリ治療に通うなどして早期復帰を目指していた。
直線であれば全力で走れるところまで回復した時点で、一軍復帰した。シーズンは残り13試合。トップの西武・辻さんが35盗塁で私が27盗塁。西武はすでに全日程を終えていたため、9盗塁すれば逆転することができた。
ただ、ケガが完治していないこともあって、盗塁を試みてスライディングするたびに、左膝が悲鳴を上げた。タイムをとらないと立ち上がれないくらいだったが、残り3試合となったところで、36個目の盗塁を決め、晴れて初タイトルを獲得。大いに自信になった。
有藤さんの監督時代の出来事としては、88年10月19日に本拠地・川崎球場で行った近鉄とのダブルヘッダーも思い出深い。球史に残る「10・19」である。
ロッテはすでに最下位が決定していた一方、近鉄はこの2試合を連勝すれば、優勝が決まる。
前日(18日)は近鉄相手に2対12と大敗していた。いくら最下位に沈んでいるとしても、目の前で胴上げを見たくない。そんな気持ちで10月19日に臨んだ。 =つづく