著者のコラム一覧
六川亨サッカージャーナリスト

1957年、東京都板橋区出まれ。法政大卒。月刊サッカーダイジェストの記者を振り出しに隔週、週刊サッカーダイジェストの編集長を歴任。01年にサカダイを離れ、CALCIO2002の編集長を兼務しながら浦和レッズマガジンなど数誌を創刊。W杯、EURO、南米選手権、五輪などを精力的に取材。10年3月にフリーのサッカージャーナリストに。携帯サイト「超ワールドサッカー」でメルマガやコラムを長年執筆。主な著書に「Jリーグ・レジェンド」シリーズ、「Jリーグ・スーパーゴールズ」、「サッカー戦術ルネッサンス」、「ストライカー特別講座」(東邦出版)など。

1982年来日 韓国初のプロを率いた老監督との邂逅<上>

公開日: 更新日:

 ロンドンでは、関塚ジャパンが4位に食い込んだ。地元開催となる今五輪は、当然ながらメダル獲得が期待される。

 日本が初めて出場した五輪は、1936年のベルリン大会である。出場国は、現在と変わらない16チームだったが、今のようにグループリーグを突破した8チームによってトーナメントを戦うのではなく、1試合目からトーナメントで争われた。

 優勝候補には開催国のドイツ、1934年の第2回W杯で優勝したイタリア、そしてスウェーデンも挙げられていた。

 いきなりスウェーデンと戦うことになった日本は、0-2で折り返した後半に3連続ゴールを叩き込み、見事にジャイアントキリングを演じた。

 この一戦は「ベルリンの奇跡」として語り継がれており、1964年東京五輪グループリーグのアルゼンチン戦の勝利(3-2)、1968年メキシコ五輪・3位決定戦のメキシコ戦の勝利(2-0)とともに日本サッカーの金字塔でもある。

 それにしても「ヒトラーのプロパガンダに利用された」とも言われるベルリン五輪は、既に85年も前に開催された大会だ。

■関連キーワード

日刊ゲンダイDIGITALを読もう!

  • アクセスランキング

  • 週間

  1. 1

    僕がプロ野球歴代3位「年間147打点」を叩き出した舞台裏…満塁打率6割、走者なしだと.225

  2. 2

    大谷翔平が看破した佐々木朗希の課題…「思うように投げられないかもしれない」

  3. 3

    “玉の輿”大江麻理子アナに嫉妬の嵐「バラエティーに専念を」

  4. 4

    巨人「先発6番目」争いが若手5人で熾烈!抜け出すのは恐らく…“魔改造コーチ”も太鼓判

  5. 5

    不謹慎だが…4番の金本知憲さんの本塁打を素直に喜べなかった。気持ちが切れてしまうのだ

  1. 6

    大谷翔平の28年ロス五輪出場が困難な「3つの理由」 選手会専務理事と直接会談も“武器”にならず

  2. 7

    バント失敗で即二軍落ちしたとき岡田二軍監督に救われた。全て「本音」なところが尊敬できた

  3. 8

    【独自】フジテレビ“セクハラ横行”のヤバイ実態が社内調査で判明…「性的関係迫る」16%

  4. 9

    大江麻理子アナはテレ東辞めても経済的にはへっちゃら?「夫婦で資産100億円」の超セレブ生活

  5. 10

    裏金のキーマンに「出てくるな」と旧安倍派幹部が“脅し鬼電”…参考人招致ドタキャンに自民内部からも異論噴出