1982年来日 韓国初のプロを率いた老監督との邂逅<上>
女性監督のレニー・リーフェンシュタールが残した映画「民族の祭典」は見たことがあるものの、残念ながら日本ースウェーデン戦はカバーされていなかった。当時の模様は活字でしか知ることはできず、遙か昔の出来事として記憶の片隅にあるだけだった。
大学を卒業後、サッカー専門誌に入社して1年が経過した1882年2月のことだった。
韓国初のプロチームが来日した。
当時の韓国は、日本の天敵というべき存在だったが、彼らもまた中東勢の厚い壁を突破できず、W杯や五輪への道を閉ざされていた。
そこで1881年、韓国のプロテスタント系キリスト教「ハレルヤ教会」を母体としたプロチーム「ハレルヤ」が誕生した。
もっとも、韓国国内にプロはハレルヤの1チームしかなく、リーグ戦はできない。ハレルヤは国内を巡業したり、海外チームを招いたり、そうやって試合をこなしていた。
1882年2月、日本に初お目見えとなった。
JSL(日本サッカーリーグ)に所属しながら、プロ化を目指していた読売クラブ(現東京V)と対戦することになり、後楽園球場に人工芝を敷設して相まみえることになったのである。