大島康徳さんを中日の後輩が悼む 敵地のヤジに「なんだコノヤロー‼」と言い返す豪快さ
その日本ハムで44歳まで現役を続け、最終年の1994年には代打中心の起用ながら打率.323、2本塁打、22打点の成績を残した。00年に日本ハム監督に就任。3年間で3位、6位、5位と結果を残せずに解任されたものの、熱血漢で選手からは慕われた。当時のチーム関係者が振り返る。
「酒豪で、大分出身ですから飲むのは決まって焼酎。パチンコも大好きで監督時代は沖縄・名護キャンプの練習が終わると、真っ先に国道58号沿いのパチンコ屋へ。夕食時間ギリギリまで台に座っていた。『だから選手にはパチンコをやるなとは言えないんだ』と豪快に笑っていたものです」
合掌。