監督就任発表前に「BIGBOSSになります」と僕にLINEが…新庄に試されていたのかも
柏原純一(元阪神)#2
新庄の監督就任を知ったのは、正式発表の数日前。突然、送られてきたLINEのメッセージを開くと、こんな文面が書かれていた。
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「北海道日本ハムファイターズのBIGBOSSになります。プロ野球界を変えます」
正直、何やコレ、と思いました。でも、僕は「了解、頑張って」と返信。そこでのやりとりはそれだけでした。監督になることは、正式発表されるまでは誰にも言えなかった。女房にも言えませんでした。
新庄が進路について話してくれたのは、これで2回目。最初はメジャー挑戦を決断し、移籍先が決まったときでした。発表前日、本人が電話してきて、「ニューヨーク・メッツに決まりました」と報告をくれた。そのあと、僕のところには情報を得ようと新聞記者から「どこの球団に決まったか知らないですか」と迫られたが、「知らないんだよ」とごまかすことを貫きました。
僕は試されていたのかもしれません。コーチとしても、僕のことを信頼できる人間かどうか見定めているような感じがありました。わざと変な打ち方をして、何をどう言ってくるか待っていた。
新庄は自分の脚力、守備範囲、能力をよく知っていました。自分の力を把握したうえで、相手の走力を測って守備につく。打者のひとつのファウルを見て半歩動いたりしていた。
あまりにも守備範囲が広いので、ある時期から相手の三塁コーチャーが腕を回さなくなったんです。すると、新庄はわざとスタートのタイミングを遅らせたり、後ろに守って三塁コーチャーが走者を突っ込ませるような状況をつくってからホームで走者を殺す。常に守りながら計算してやっていた。
こういうことをこれから日本ハムの若手に求めていくでしょう。
「得点圏じゃないとつまらない」
ただ、守備は申し分なかったけどバッティングに関しては……。バッティングは野球の中で一番苦手だったかもしれません。チャンスに力を発揮するタイプで、「得点圏じゃないとやる気が出ない、つまらない」と。僕らコーチの立場から言えば、それじゃあ困る。でも明らかにそんな雰囲気でした。でも、練習ではズルもしないし、決められたことはサラリとこなす。コーチからすれば、まったく手のかからない選手でした。
日本ハムでは、監督として「まず見ること」を徹底して、あまり指導しないんじゃないかと思う。特徴をコーチに聞き、それを新庄が分析して選手をどう使うか決めるんじゃないか。新庄には、とにかく好きなようにやってほしいと思います。 (この項おわり)
▽柏原純一(かしわばら・じゅんいち) 1952年6月15日、熊本県出身。熊本県立八代東高からドラフト8位で南海ホークスに入団。78年に交換トレードで日本ハムに移籍。81年、西武戦で敬遠球を打って本塁打に。86年に金銭トレードで阪神に移籍。88年に現役引退。89年から阪神でコーチを務め、新庄らを育てた。その後も中日、日本ハムなどで打撃コーチを歴任。現在はユーチューブで動画を配信中。