岡田彰布さんから阪神二軍コーチの打診 中日時代の恩人・星野仙一さんが推薦してくれた
引退後は西武、台湾、横浜、オリックス、阪神でコーチやフロントの仕事を務めることになる。その中でも最長の13年間にわたり、お世話になった阪神の話をしよう。
オリックスのコーチを辞めた2003年秋、一本の電話がかかってきた。
「来年、二軍のバッティングコーチをやってくれませんか?」
就任したばかりの阪神・岡田彰布監督からだった。1学年下の岡田とは大学日本代表で一緒に戦ったことはあるものの、縁もゆかりもない球団で、なぜ誘われたのか分からなかった。ただ、兵庫出身の関西人の私にとって、タテジマのユニホームは憧れだった。「私でよければよろしく」と答えた。
その年まで阪神の監督は星野仙一さんが務めており、健康問題を理由に勇退していた。中日時代にバッテリーを組み、監督、選手の間柄で結婚式の仲人までやってもらった監督だ。
4球団でコーチなどを経験していた私が、オリックスを退団したことを気にかけた星野前監督が「中尾は使えるぞ」と推薦してくれたと後で聞いた。