自主トレをセッティングしてくれたのは仰木新監督 そこにはある「意思」があったのかも
■西鉄キャンプの島原へ
その1年ほど前のことだ。シーズン最下位に沈んだ近鉄は岡本伊三美監督に代わって、翌年から仰木さんが指揮を執ることになった。
私は新人だったその年に249回3分の2を投げて15勝12敗、新人王を獲得した。疲労もあったし、どこで自主トレをやろうか、考えていたところだった。「長崎の島原はどうでしょう?」と球団に言われた。聞けば、日本通運から高柳出己というドラフト1位の新人が入ってくるから、彼も一緒に連れて行ったらどうかという。
球場はもちろん、宿舎も手配済み。アクセスもよくて、すべて段取りされていた。仰木さんが現役時代(西鉄)にキャンプをやっていた島原はどうかとセッティングしてくれたのだ。付近にはいい温泉があった。練習後、ゆっくりと湯につかってから宿でのんびりしていると、仰木さんや、仰木さんの西鉄時代の同僚でコーチである中西太さんの知り合いの方たちが代わる代わる宿に来て、料理をふるまってくれたり、西鉄時代の話をしてくれたりした。普賢岳が噴火した際に「ヒゲの市長」として有名になった当時の島原市長で、仰木さんとも親交のあった鐘ケ江管一さんもその中のひとりだった。
高柳は年齢は同じでもルーキーだし、島原で一緒に自主トレをやったメンバーは私より年下の投手ばかり。後から考えると、仰木さんには私を投手陣のリーダーに育てようという意思があったのかもしれない。(つづく)