八回1死一、二塁のチャンスで村上隆行が値千金の2点二塁打を放った背景
ダブルヘッダーの1試合目は九回まで、2試合目は試合が4時間を超過した時点で新たなイニングに入らない。1988年当時のパ・リーグの規定が、連勝が優勝の絶対条件だった近鉄にとって、最後まで重くのしかかっていく。
第1試合はロッテに2点を先制された。五回に鈴木貴久さんの20号ソロで1点差としたものの、七回まで放った安打はこの1本だけ。七回裏、さらに1点を失ってリードを広げられた。残されたイニングは2回。九回までに勝負を決めなければ、その時点で優勝がなくなる。私はブルペンでジャンパーを着たまま投球練習をし、祈るような気持ちで戦況を見つめていた。
■「捕らなくていいぞ」
近鉄は八回1死一、二塁のチャンスで、捕手の山下和彦さんに、代打・村上隆行が告げられた。
村上は私がプロ入りした当時、遊撃のレギュラーだった。真喜志康永さんが入って外野に回ったものの、オープン戦などでは遊撃を守ることもあった。
とにかく身体能力が高い。俊足で、パワーもバネもある。もともと投手で、肩も強かった。私が投げている試合でも、左前打を覚悟した三遊間のゴロに飛び付いて捕球してしまう。肩には自信があるし、何が何でもアウトにしてやろうと無理な体勢から、うりゃーと放った送球は、一塁ではなくカメラマン席へ。打者走者は二塁へ進み、結局、二塁打と一緒になるようなケースが何度かあったため、「ヒットなのだから、捕らなくていいぞ」と言ったことがある。