東北の「ええべ」には理由がある 全国区になれば郷里を出て二度と戻らない
85年夏、KKこと桑田&清原のPL黄金時代、ついに準々決勝まで勝ち進んだ。
マウンドにいたのは佐々木主浩、後の「大魔神」だ。相手は創立3年目、滋賀の甲西という無名校。4-4で迎えた九回表に東北は1点を奪った。ところがその裏、右へ右へと連打を浴びて逆転サヨナラ負け。最終回に継投策を言う竹田に、投げたいと言った佐々木が打たれた。
ナインは泣きじゃくって監督に抱きついた。次はPL学園と決まっていた。これが竹田にとって最後の大会とも知っていた。竹田は、柔和にうなずきながら選手全員の肩を叩き、ねぎらった。そして、ひと月後、仙台っぽは「たまげた」──竹田の仙台育英への移籍に腰も抜かさんばかり驚いた。白河のこちら側で考えられない〈裏切り〉こそ「ええべ」を言わない関西人の、これまでとは違う〈甲子園〉への道のりだった。 =つづく