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武田薫スポーツライター

1950年、宮城県仙台市出身。74年に報知新聞社に入社し、野球、陸上、テニスを担当、85年からフリー。著書に「オリンピック全大会」「サーブ&ボレーはなぜ消えたのか」「マラソンと日本人」など。

宮城で戦った紀州人・竹田利秋の気骨…組み合わせ抽選会の光景で全国を意識

公開日: 更新日:

「ちいさい秋みつけた」で知られる作詞家で、作家・佐藤愛子の兄、サトウハチローは野球狂だった。何より父の作家・佐藤紅緑が熱心で、一家は阪神電鉄が文化村として開発した鳴尾浜に住んでいた。

 そこに甲子園新球場が建設された。夏になると紅緑は朝から球場通いし、ある日、上機嫌で帰宅した。

「今日は面白いものを見た」

 紋付きはかまで得々とノックをする男がいたという……。東北中学の創設者で校長だった五十嵐豊吉である。1904(明治37)年の草創期から野球、テニス、弓道など教育にスポーツを取り入れた五十嵐がはしゃいだのも当然だろう。私学の東北代表は第16回大会(1930年)が初めてで、水戸中を逆転で破った初戦は、戦前では宮城県勢唯一の勝利だった。これは五十嵐が国学院大の松尾勝栄を臨時コーチに招いた効果てきめんだが、その効果がよもや後々まで及ぶとは思わなかっただろう。

 松尾は戦後、監督に復帰。65歳だった65年、国学院を卒業した竹田利秋を「遊びに来い」と誘った。郷里・和歌山の銀行への就職も決まっていた竹田は、仙台で急遽コーチ就任を言われ、大先輩の命令に背けず、泣く泣くとどまることになる──。

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