三笘薫、田中碧、権田修一、板倉滉をカタールW杯に輩出した“街クラブ”の秘密と4人の原点
権田修一「“人十倍”の負けず嫌い」
大阪体育大を卒業して大手スポーツメーカーに入社し、営業担当として多忙な毎日を送っていた澤田代表は、スキー部門からゴルフ部門への異動とともに川崎・鷺沼に転居した。2004年、鷺沼幼稚園でサッカーをやっていた長男が「小学校に入学したら、さぎぬまSCでサッカーを続けたい」と言ってきた。仕事の一環でもあったゴルフ場通いを封印。週末はサッカー漬けとなった。
「息子は、さぎぬまSCの18期生なんですが、17期生に権ちゃん(GK権田)がいました。低学年の頃から他の児童よりも頭ひとつ高く、6年の時には身長が175センチくらいありました。試合中にチームメートがミスすると『ドンマイ! 気にしないでいいから! いけるぞ!』と勇気づけていました。超のつく負けず嫌いでしたね。下級生からゴールを奪われた時などの悔しがり方はハンパなかった。人一倍ではなくて『人十倍』という言葉が当てはまります。カタールW杯初戦のドイツ戦で権ちゃんは前半33分にファウルを犯し、PKを献上して先制されてしまいました。そして後半24分から18秒間、ドイツの決定的なシュート4本を立て続けにセーブ。大金星ゲットの立役者となりました。並外れた負けず嫌いの権ちゃんが本領を発揮した! と思いながら見ていました」