元阪急投手・山田久志“史上最高のサブマリン”の矜持「負けた時に記事になるのが真のエース」
山田はそれを見て、スピード一辺倒のピッチングの幅を広げることを決意。新たな決め球としてシンカーに活路を見いだそうとした。当時、たまたまチームメートにシンカーの使い手として名を売っていた、同じアンダースローの足立光宏がいたことも大きかった。足立の投げ方を参考に山田はシンカーを会得し、76年にはキャリアハイとなる26勝をマーク、この年から史上初の3年連続MVPを獲得するなど、シンカーを武器に八面六臂の働きを見せた。
山田自身、シンカーには今でも格別の思いがある。それだけに、山田以後シンカーの名手といわれた潮崎哲也(西武)や高津臣吾(ヤクルト)の話が出ると、
「私のシンカーが本当のシンカー。彼らのシンカーはシンカーではない。チェンジアップだ」
といって譲らない。
山田は現役引退後、コーチや中日監督などを歴任し、現在は評論家として活動しているが、折に触れ、
「今、中継ぎのエースとか抑えのエースとかいうが、エースはチームに1人いればいい。チームメートからもファンからも認めてもらって初めてエースといえる。エースは勝つのが当たり前だから勝った時には記事にならない。負けた時に山田がやられたと記事になるのが真のエースなんだ」
と自らの「エース哲学」を語っている。
(ライター・清水一利)