羽黒山が妻の訃報を受けても務めた横綱土俵入り「帰ったらお経が始まっていた」
夏巡業がまもなく終わる。コロナ禍の中断を経て3年ぶりに再開された昨年は5カ所だったが、今年は18カ所に増え、名古屋場所を途中休場した照ノ富士も初めから参加している。腰などに故障を抱える力士にはバス移動がこたえる旅だ。
横綱は土俵入りも負担だというが、体調不良を押して巡業に参加している横綱に、勧進元が「土俵入りだけでも」と頼むこともよくある。
体調不良だけではない。羽黒山は終戦翌年の1946年4月、巡業先の山口県岩国市で夫人急死の電報を受け取った。夜のうちにたとうとしたが、嵐のため電車が不通で、乗ったのは翌日の急行。その時の状況を生前、著作家・小島貞二氏との対談で明かしている。
「勧進元が、どうしても土俵入りだけはしてくれって言うもんだから土俵入りして飛び乗ったです」。同じ立浪部屋の双葉山が引退した直後でもあった。
「東京に帰ったのは、女房が死んだ次の次の日。わしが部屋に入ったら、ちょうどお葬式の最中。お経が始まっていたところでした」