勢い増す米国スポーツ賭博の歴史…2018年の連邦最高裁の判決がターニングポイントに
1979年にウィリー・メイズ、83年にはミッキー・マントルという球史に残る大選手がカジノ関連企業に職を得ていることが問題視され、一時的ながら球界から追放されている。さらに1989年には歴代最多安打記録を持つピート・ローズが野球賭博を行ったことを理由に永久追放処分を受けている。
球界にとっても、独自の規定ではなく連邦法によってスポーツ賭博全般が違法とされたことは心強いものだった。
しかし、財政難に直面した各州は新たな財源を模索する中でスポーツ賭博に着目し、2012年にニュージャージー州がスポーツ賭博の合法化に踏み切る。
ニュージャージー州の動きに対して、大リーグを含む米国4大プロスポーツリーグと全米大学体育協会はPASPAに違反するとして訴訟を起こす。そして連邦最高裁は2018年にPASPAによるスポーツ賭博の禁止は違憲という判決を下し、状況は一変する。
これ以降、各リーグは選手が自ら行う競技を対象とする賭博に関わることを禁じつつも、スポーツ賭博の運営企業を新たな広告主として迎えるようになったのである。