佐々木朗希「40歳現役計画」が争奪戦のカギになる…育成について質問攻め、メジャー相手に"宿題"
「40歳まで野球をやりたい」
メジャー移籍を目指す佐々木朗希(23)は、高校時代から息の長い投手になることを一大目標に掲げている。
大船渡高3年時の2019年、ロッテに1位指名されたドラフト直前に行ったプロとの面談では、監督、野球部長、母の陽子さんが同席する中、高校を訪れたスカウトにその意思を明確に伝えた。
面談時に多くの時間を割いたのは球団の育成環境、育成システムに関することだった。
当時の佐々木は最速163キロを誇り、「令和の怪物」と呼ばれた一方で、163キロを投じた3年春のU18合宿後に右肘に違和感が出た。医師などの専門家に相談した結果、「まだ163キロに耐えられるカラダではない」と診断され、しばらくの間、投球を制限した。3年夏の県大会の決勝戦は肩肘やカラダの疲労を考慮して登板回避し、大きな波紋を呼んだ。
2年生になって以降、複数のメジャー球団が高校に足を運んだ。中には契約のオファーを出したところもあった。佐々木自身、メジャー挑戦に夢を抱き、周囲も背中を押したが、「まずはプロ野球に進みます」とこれを断ったという。
日本で体づくりをすることが先決と考え、ドラフト直前のプロとの面談では「どのように育ててくれるのか」と質問をぶつけ、「いつでも制約なく、練習施設は使えますか?」と尋ねた。某球団のスカウトは言う。
「ドラフトはクジ引きで行きたい球団は選べないし、どこが指名するかも分からない。それでも育成環境に強い関心を抱いていたのは、ゆくゆくはメジャーで成功したい、40歳まで投げ続けたいという強い意思を抱いていたからこそでしょう。でなければ、あと一つ勝てば甲子園に行けるにもかかわらず、肩肘の疲労を考慮して登板を回避しないでしょう。先々を考え、決して無理をせず、カラダに痛みや違和感が出れば自らブレーキを踏むのは、ロッテに入団してからも一貫している。現に、プロ5年間でたびたび一軍から離脱するなど、一度も規定投球回に到達していないわけですからね」
40歳現役への思いは今も変わっていない。2001年に生まれた佐々木が40歳を迎えるのは、16年後の2041年。未来は不透明なものだが、今回のメジャー挑戦に際しても、「1年でも長く活躍したい」という強い意思があるという。
佐々木の代理人を務める米ワッサーマンのジョエル・ウルフ氏はこうした「ロウキの考え」に関して、こう言っている。
「朗希自身は完成された選手ではないことは分かっている。彼は最高の選手になりたいと思っている。ただお金持ちになりたいとか、大型契約を得るためではなく、史上最高の選手になりたいことを明確にしているし、私から見ても伝わってくる。世界最高の選手たちと対戦し、メジャー球団が持つリソースを活用して、最高の投手になりたいと考えているように思う」
日本時間12月31日、ウルフ氏は、佐々木がロサンゼルスの代理人事務所で自らチョイスした数球団と8日間にわたって面談を行ったことを明かした。交渉相手やその内容についての具体的な言及は避けたが、交渉は1球団につき2時間以内とし、選手の同席を拒否したという。