「反<絆>論」中島義道氏
東日本大震災直後から、<絆>という言葉は特権的地位を獲得し、多くの日本人が<絆>の旗印のもと、“被災者のために行動を起こしたい”と考えた。しかし、哲学者である著者は、この風潮に疑問を投げかける。
「被害に遭った人々に対し、何とかして彼らを救いたいと思うことは決して悪いことではありません。私自身も、<絆>そのものを否定しているわけではない。しかし、メディアが被災地の感動的な場面を次々に紹介し、<絆>を連呼したことで、妙な居心地の悪さを感じるようになった人もいるのではないでしょうか」
すべての人が<絆>を美しくて善いものと感じるとは限らない。しかし、異論を唱えることなど許されないほどに、絶対化された<絆>。こんなときだからこそ危機感を持ち、発せられる言語に耳を澄ますべきだと著者は言う。
「略奪や暴行など直接的な行動がなくても、非常事態には言語による暴力がまかり通りやすいこと、そしてその他の言語を圧殺しやすいことを知っておく必要があります。とくに日本人は、“同じであること”に美徳を感じる傾向が強い。言い換えれば、異論を唱えて和を乱す存在を認めないということで、“同じ”でなければ生きにくい国です。東日本大震災以降のメディアによる<絆>の大合唱は、かつてお国のために名誉の戦死を遂げた兵隊さんと、それを手放しで褒めたたえたメディアという図式と、何ら変わらないと感じます」