「骨が語る日本人の歴史」片山一道氏
縄文人は阿部寛のように体毛が多く、大きな目の濃い顔立ち、対照的に、弥生人はひげが少なく目は切れ長ののっぺりした樋口可南子のような顔。
酒の席などで、自分の顔は縄文系か弥生系かと盛り上がった経験がある人もけっこういるのではないだろうか。
しかし、それはまったくの勘違いだったのだ。
「縄文人は、日本列島全域を通じて同じような顔立ちをしていたので、ひとくくりにすることができます。一方、弥生時代の人々の顔はさまざまで、典型的な『弥生人顔』というものはありません。多くの人が『弥生人顔』と思っているものは、北部九州で発見された人骨から復元した、渡来人系の顔立ちのことだったんですね。西北九州、関東などから発見された弥生時代の人骨を見ると、縄文人と非常によく似た顔立ちをしています」
なぜ西北九州や関東の人骨は無視されたのか。
「現在発掘されている弥生時代の人骨の80~90%が北部九州のもの。他の地域も人口は変わりませんでしたが、ほとんどが土に帰してしまった。日本列島の土壌は基本的に酸性土で、人骨が残りにくいのです。しかし、例外的に、北部九州などでは保存状態の良好な人骨が発掘されたものだから、考古学や人類学者が、それを弥生時代の代表としてしまった」