「銀座 歴史散歩地図 ─明治・大正・昭和」赤岩州五編著 原田弘・井口悦男監修
常に新陳代謝を繰り返し、人々を引きつけてきた日本を代表する街「銀座」。その変遷を古地図や住宅地図、商店街地図など、さまざまな地図でたどりながら紙上散歩するグラフィックブック。
もともと低湿地帯だった銀座周辺は、江戸時代に御茶ノ水や神田山の台地を削った土で埋め立てられた土地で、当時は縦横に水が流れていた。嘉永3(1850)年の地図を見ると、加賀町や尾張町などの地名が見えるが、それは埋め立て工事を担った人たちの国名だという。他にも南紺屋町や弓町などの地名も見え、銀座が職人の町として出発したことがうかがえる。明治5(1872)年、銀座一帯は大火に見舞われ、政府は焼け跡を煉瓦街として再生する。しかし、煉瓦街は当時の人々に不評で、ようやく明治15年ごろから繁華街としての地位を確立したという。
物理学者でもあり文学者でもある寺田寅彦や、銀座生まれの洋画家・岸田劉生らが銀座について記した文章を読み込みながら、明治35年の「東京市京橋区銀座附近戸別一覧図」という詳細な地図で、当時の銀座にタイムスリップ。
寺田は明治28年、16歳のときに尾張町(銀座5丁目)の「竹葉」(現在も4丁目交差点近くで健在のうなぎ屋)の隣家に滞在した折の思い出をつづっている。文中に登場する寄席を、前後の記述から「一覧図」に記載された「金沢亭」だと特定。