「昭和の公団住宅」長谷田一平編

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 昭和30年、270万戸という深刻な大都市圏の住宅不足の解消と、高度経済成長の幕開けとともに始まった地方からの人口流入の受け皿として、時の首相、鳩山一郎の陣頭指揮で日本住宅公団(現UR=都市再生機構)が設立された。

 以来、60年間で賃貸・分譲合わせて158万戸の住宅が建設された。

 そのうち、発足時の昭和30年から昭和が終わった昭和64年まで住宅公団が建設した住宅は、全体の82%を占める129万戸に及ぶ。

 本書は、日本初のタブロイド新聞で、昭和34年創刊の団地新聞「KEY新聞」(平成24年3月時点で発行部数約33万部)の記者たちが撮影した膨大な写真から、往時の公団住宅の暮らしぶりを伝える写真集。

 腕に覚えがあるお父さんたちが碁盤を見つめ真剣勝負を繰り広げている「団地囲碁名人戦」(昭和44年撮影=埼玉県南浦和団地)、一気に400人もの生徒を迎えた団地横の小学校での屋外入学式(44年=千葉県豊四季台団地)、将来の同級生たちと仲良く並んで乳幼児健診(51年=埼玉県西上尾第二団地)、団地の広場で行われた産直市の賑わい(46年=東京都花畑団地)、団地から延びる一本道を大勢の住人が職場に向かう朝の出勤風景(50年=埼玉県武里団地)、そして七五三だろうか晴れ着を着て歩く一家(50年=神奈川県明神台団地)など。団地暮らしの日常の点景を追う。

 昭和30年代初期の住宅は1人あたりの畳数2.5畳未満が4割というほど劣悪。風呂無しの6畳一間や6畳+4.5畳の木造長屋やアパートが当たり前だった時代に、公団が提供した鉄筋コンクリート造りの平均35平方メートル前後で風呂、水洗トイレ付きという住宅は羨望の的で、応募倍率が50倍や100倍を記録するほどの人気だった。

 昭和35年には現在の天皇皇后陛下が、アメリカ訪問を前に西洋式住宅を勉強したいと視察したという。

 比較的収入の多い世帯が入居していた団地では、同好の士が集まり、乗馬からギターや剣道、謡などさまざまなサークル活動も活発に行われていた。さらに団地を挙げての運動会や、夏の盆踊りなど、まるで団地全体が大きな家族のように暮らしていた様子が伝わってくる。

 写真の多くに大勢の子どもたちが写り、この後に押し寄せる少子高齢化の現在の日本の予兆は感じられない。首都圏98の団地で撮影された約13万点もの写真から選ばれた328点を収録。団地育ちの人や、今も暮らしている人たちは往年の自分や家族たちと対面できるかも。

 日本ならではの団地暮らしとその文化を記録した貴重な一冊だ。(智書房 2000円+税)


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