「手蹟指南所『薫風堂』」野口卓著
野口卓は、デビュー作「軍鶏侍」の作風から「朴訥で真っすぐ」とのイメージを抱きやすいが、その後の「ご隠居さん」シリーズや、「北町奉行所朽木組」シリーズなどを見ると、もっと幅広い作家であることがわかる。
しかし「器用」というキャッチフレーズはやっぱり野口卓に合わない気もするので、はて何だろうと思っていた。本書を読みながら、はっと気がついた。野口卓は、懐が深い作家なのだ。だから、「軍鶏侍」「ご隠居さん」「北町奉行所朽木組」という持ち味の異なるシリーズが自然に同居できるのである。本書もそういう一冊だ。
これは、浪人・雁野直春が手習所を始める話である。薪炭商の店を息子にまかせた忠兵衛老人に人柄を見込まれて手習所をまかされるのだが、直春の生い立ちにはちょっと複雑な事情がある。それをここで紹介すると長くなるので省くけれど、その背景の事情をはじめとして手習所に通う子供らや周囲の人間たちのさまざまな人間関係がドラマの奥行きをつくっている点は見逃せない。
なによりも、おやっと思うのはこれが恋の物語であることだ。こういう物語を野口卓が書くのは初めてである。その点でも異色の、この作家の懐の深さを表す作品といっていい。その恋のお相手が誰なのかは読んでのお楽しみにしておく。
青春時代劇としてテレビドラマの原作にぴったりではないかと思うが、どうか。(KADOKAWA 600円+税)