「ふんわり穴子天」坂井希久子著
この連作集に「居酒屋ぜんや」というシリーズ名がつけられているのは、床几が1つに小上がりがあるだけのこぢんまりとしたこの店を舞台に人情話が展開するからだ。となると、年の離れた亭主に死なれ、亭主の姉と一緒に「ぜんや」を営むお妙が主人公かと思うところだが、確かにお妙の側のドラマもたっぷりと描かれるものの、そうでもないから面白い。
いや、全5話のうち2話がお妙を語り手とするので、このヒロインもまぎれもなく主人公なのだ。しかし、残りの3話の語り手は異なるのである。それが小禄旗本の次男坊・林只次郎。つまり、こう言ってよければ、これは「2人主人公もの」である。
只次郎は、預かった鴬を美声に育てて生計を立てている。家禄を継いだのは兄だが、その扶持はすずめの涙なので、林家は今や只次郎が支えている。それが兄には面白くないようで、このところ兄弟の仲はうまくいっていない――と、こちら側のドラマもなかなか面白い。「ぜんや」のドラマと、只次郎の話がどうつながるのかというと、鴬の糞買い(鴬の糞は洗顔料として高値で売れる)に案内されて只次郎が「ぜんや」にやってくるからだ。只次郎はお妙に一目惚れするのである。
おいしそうな料理が次々に出てくるのもこのシリーズの特色で、今回は鯛茶漬けがおいしそう。これが面白ければ、前作「ほかほか蕗ご飯」もぜひお読みいただきたい。(角川春樹事務所 580円+税)