闘牛のあとの「公開処刑」は束の間の安らぎ?
「ローマ貴族9つの習慣」マルクス・シドニウス・ファルクス著、解説/ジェリー・トナー 太田出版 1800円+税
人間の長い歴史の中で最も恵まれた人々といえば、巨大なローマ帝国を築いたローマ市民ではないだろうか? 前作「奴隷のしつけ方」が話題となった古典学者のジェリー・トナーが、マルクスという架空のローマ貴族になりかわり、“超・上から目線”で当時の暮らしぶりを紹介する。たまたまローマに生まれた市民は、穀物が無料で配給され、家事や仕事は奴隷が代行。ブラック企業や年金問題にあえぐ今の日本と比べると夢のような生活だ。
遊ぶしかない暇な市民のために、政府は浴場や競技場、演劇など、あらゆる娯楽を提供。特に円形闘技場の一大イベントは盛り上がる。歌や踊りではない。まず、午前中は猛獣狩り。何とも恐ろしいプログラムだが、ハンターがイノシシ50頭と戦ったり、時にはライオンや虎、熊や象が投入されたらしい。
一度だけ、スペインで闘牛を見たことがある。罪のない牛を刺す闘牛士にドン引きし、チケットを買ったのを後悔する私の隣で、現地のおばあさんが狂喜して叫んでいたことを思い出した。ローマに限らず、西洋人には狩猟民族の血が流れているのだと理解するしかない。
しかし、である。猛獣狩りを終えると「束の間の安らぎとして」行われるのが「公開処刑」って、おいっ!! クレージーなのは、そんな場面でも演出がなされていることだ。火山の麓の街で反乱を起こした男には、火山を模した足場に立たせ、その足場を崩し猛獣のおりに落とす。
これで市民は安らいだのかと思うと、私の心には乾いた風が吹くが、クライマックスは剣闘士の一戦だ。戦うのは死刑囚か奴隷。マルクスは「惨めな野蛮人だが、死を恐れぬ姿勢をローマ市民も学ぶべき」と教訓を垂れる。
平等の概念がない時代に選ばれた人の本音。そのズレた感覚に驚きつつも、読み進めていくと衣食住が満ち足りた日本の生活も、世界の貧困の上に成り立つことを思い出させる。野獣狩りこそないが、今も続く世界のアンバランスさにふと気付かされるのだ。