「水燃えて火」神津カンナ著
「山師と女優の電力革命」という副題のついた長編である。山師というのは、福沢諭吉の女婿桃介のことで、女優とは川上貞奴のことだ。全5章からなる長編だが、第2章まではその桃介が木曽山中にいかにしてダムを造ることになったのかという顛末記で、そこに貞奴と知り合って同居することになる経緯も挿入される。そういう事実を知らなかった人にはこれだけでも十分に興味深いが、本書が真に面白くなるのはその先である。第3章から木曽谷を取り仕切る島崎家の当主・島崎広助(島崎藤村の兄)が登場するのだ。
広助の次女こま子が、妻を亡くした藤村の身の回りの世話のために藤村の家で暮らすうちに男女の仲になって叔父の子をうみ、しかもそのことを藤村が「新生」という小説にして発表したからたまらない。広助が藤村と絶縁するのは当然だが、この男には終生こういう苦労がつきまとう。たとえば、木曽谷を取り仕切る家に生まれたので、その地区に住む者の意見をまとめなければならず、これがいろいろと大変なのである。問題が次々に生じるので休む暇がない。
もしも本書が桃介だけの物語であったなら、興味深い話ではあっても、やや単調な物語になっていただろう。ところが、開発される住民の側に島崎広助が登場してくると、事態は複雑になり錯綜し、奥行きのある物語となっていく。木曽という地域の発展と変化を映す読みどころ満点の「木曽小説」になるのだ。(中央公論新社 1800円+税)