「神になりたかった男 徳田虎雄」山岡淳一郎著
世界有数の医療グループ徳洲会を一代で築き上げた男の人生は、壮絶極まりない。善と悪、聖と俗、使命感と欲望が混然と入り交じる。彼を知る人々への丹念な取材を通してその実像に迫った人物評伝。
1938年、兵庫県高砂市に生まれた徳田は、2歳で両親の故郷、奄美群島の徳之島に移り住む。農業を営む家は貧しかった。小学校3年生のとき、3歳の弟が急病になり、医師に診てもらえぬまま亡くなった。その悲しみと怒りは、後に「生命の平等」を掲げて病院建設に邁進する原点となる。
爪で崖をよじ登るような努力の末に医者になった徳田は、病院の既成のルールや慣習を無視して、猛烈に働く。救急患者も全て受け入れた。医療界の異端児は35歳のとき、大阪府の医療空白地のキャベツ畑を買い、自分の病院を建てる。2年後に医療法人徳洲会を設立、徳田の爆走が始まった。
医療革命を目指し「365日、24時間診療」を標榜する徳洲会の病院には、医局のピラミッドからはじき出されたアメリカ帰りの医師や、元全共闘の医師、戦禍を体験した元従軍看護婦など、多彩な人材が集まり、成長を支えた。壁となって立ちはだかる医師会とバトルを繰り広げながら病院数を増やしていった。
しかし、道はまっすぐではなかった。徳田は、医療と政治が絡み合う「けものみち」へと分け入っていく。衆議院議員のバッジは、徳田の目を曇らせた。急成長のひずみ、組織内の確執が表面化し、政治と金疑惑にまみれて、徳田王国は崩壊。創設者徳田は病に倒れ、徳洲会は徳田一族の関与を断った。
徳田は今、難病ALSで全身不随となり、湘南鎌倉病院の完全看護の特別室で命をつないでいる。だが、徳洲会は71病院を擁する巨大医療グループとして地域医療になくてはならない存在となっている。徳田の初心は確かに実を結んだのである。(平凡社 1800円+税)