「いのちの旅人 評伝・灰谷健次郎」新海均著
高い評価を受けた児童文学「兎の眼」や「太陽の子」で知られるミリオンセラー作家、灰谷健次郎。その作品が人の心をつかむのはなぜか。創作の根源に迫る人物伝。
灰谷は1934年、神戸市で7人きょうだいの三男に生まれた。父は三菱神戸造船所の旋盤工。赤貧洗うがごとき生活だったが、人のぬくもりと豊かな自然が身近にあった。しかし、健次郎の成長は困難を極める。
神戸大空襲を生き延び、11歳のとき敗戦。高校進学を希望するが、貧しさゆえにままならない。軍国主義から一転、民主主義を説く教師にも嫌悪感を抱き、気持ちがすさんだ。
定時制高校に通いながら職を転々とした後、父と長兄が働く造船所で電気溶接工に。世間は折からの朝鮮戦争特需に沸いていたが、灰谷は戦争犯罪を告発するビラをまくなど、政治運動にのめり込んでいった。希望が見えず自暴自棄、夜の街を彷徨する一方で、文学や仏像の魅力に目覚め、詩を書き始めてもいた。
混沌の青春時代を経て、22歳のとき小学校の教師になった。子どもたちは先生を「ハイケン」と呼んで慕った。授業も面白かった。しかし、平穏な人生は訪れない。それどころか、さらに苛烈な大波が押し寄せる。初期の小説作品が差別問題で糾弾され、断筆。さらに、黙々と一家を支えてきた長兄が自死。
灰谷は教師を辞め、放浪生活をしながら自分を問い続けた。その「ぎりぎり」の自分を書いた作品が「兎の眼」だった。作者の実人生を知った上でこの作品を読み返すと、新たな感動があるに違いない。
2006年、食道がんで死去。臆することなく社会に意義を申し立て、真剣に子どもと向き合った作家だった。
(河出書房新社 1800円+税)