“詩人の心”を潜めた著者の的確な人物評
「最終獄中通信」大道寺将司著/河出書房新社
トルストイは「牢獄に入ったことのない者は実はその国を知りはしない」と言っているという。大道寺は1974年8月30日の三菱重工ビル爆破事件で死刑判決を受け、2017年5月24日に多発性骨髄腫のため、東京拘置所で亡くなった。享年68。
大道寺らは最初、「三菱をボスとする日本帝国主義の侵略企業・植民者に対する攻撃」と居直っていたが、予告電話の効果がなかったことも含めて自己批判し、大道寺は8月30日が来るたびに「被害者の方々に心から謝罪します。犯した過ちの大きさに、ただ頭を垂れるばかりです」と書くようになる。
・生きてまた迎へてをりし今朝の春
・死は罪の償ひなるや金亀子
獄中で始めた大道寺の句である。
作家の松下竜一は「狼煙を見よ――東アジア反日武装戦線“狼”部隊」(河出書房新社)で大道寺を描いたが、1984年夏に大道寺から手紙を受け取った。そこには、大道寺が獄中の政治犯に、松下の「豆腐屋の四季」(講談社文芸文庫)を読むことをすすめ、東京拘置所に、突然、この本のブームが訪れた、とあった。松下は、自分の本の中で、大杉栄の遺児のことを書いた「ルイズ――父に貰いし名は」などでなく、暗く孤独な青春の日々を短歌と短文でつづった「豆腐屋の四季」が政治犯たちに愛読されているということが、とても意外だった、と述懐している。しかし、革命を夢見て一途な行動に走る人間たちはみな、詩人の心を潜ませているのである。大道寺の母親によれば、高校時代の大道寺は中原中也とアルチュール・ランボーが好きで、部屋の壁に中也の詩「汚れっちまった悲しみに」を書いて張っていたという。
この「通信」は最初は母宛てに書かれ、母親の死後は妹に向けて発信された。中にちりばめられた人物評がまた的確で鋭い。
たとえば「国際政治学者を名乗る藤原帰一(東大教授かな)」を「いつも中途半端で自分の主張をしない人」と批判し、作家(を名乗る)佐藤優については、こう断罪している。
「公明党は戦争法成立に積極的だったのに軽減税率の件では自民党に抵抗しています。わけのわからん政党です。その公明党―創価学会に佐藤優氏は取り込まれたか、もともと親和的だったのか。彼は今も公明党は平和を党是としていると言っているけれど、どうかしているのではないか」
★★★(選者・佐高信)