日本社会に残した独立独歩の起業家精神
「江副浩正」馬場マコト、土屋洋著
なんと起伏の激しい人生なのだろう。並外れた時代感覚を武器に、人跡未踏の原野に新しいビジネスの種をまき、大きく育てた。彼が進んだ後に道ができた。
リクルートの創業者・江副浩正。苦学して東大を卒業するも就職はせず、無一文で起業。アルバイトの延長上にあった大学新聞の広告営業を起点に、「広告だけの情報誌」という新しいメディアをつくり出し、「素手でのし上がった男」と脚光を浴びるまでになった。
小柄で痩身、整った面ざし。少年時代は目立たず、あだ名は「じいちゃん」。だが、内には生木のようなしたたかな強さを秘めていた。新進経営者として快進撃を続けるうちに、その存在は輝きを増していった。しかし、世間一般の常識にとらわれない進撃は、黒い芽をはらんでもいた。知らず知らず謙虚さを失い、裸の王様になりつつあった江副を、思わぬ落とし穴が待ち受けていた。
1988年、リクルート事件。無類の贈り物好きが災いし、政治家、官僚への未公開株譲渡が問題化。江副はリクルートを去る。その後、経済界の表舞台に立つことはなかった。50代に入った人生後半での残酷な暗転。心身に大きなダメージを受けながら、リクルート事件の裁判、離婚と、消耗戦が続く。新規事業の立ち上げやオペラ振興に内なる火を燃やしたものの、結実を見ることはなかった。そして、2013年2月、東京駅での転倒事故がもとで、76年の生涯を閉じた。
2人の著者は、いずれもリクルートOBで、江副にじかに接し、薫陶を受けている。膨大な資料と関係者への取材を通して、江副の負の面も掘り起こすことになったというが、それでも変わらぬ深い敬意と親しみ、そして悲しみが行間ににじむ。
「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」。江副が創業時につくったこの言葉を胸に、リクルートから巣立っていった人材は数知れない。この独立独歩の起業家精神こそ、江副が日本社会に残した最大の遺産と言えるだろう。
(日経BP社 2200円+税)