「AIを信じるか、神(アッラー)を信じるか」島田裕巳氏
「人工知能すなわちAIの著しい進歩に期待が高まる一方で、多くの人が将来、人間はAIに仕事を奪われるようになるのではないかと心配をしています。確かにその側面はあるでしょう。しかし、本当に心配しなければならないのはそこではありません。AIの進歩により、私たちは、ある究極の選択を迫られることになるんです」
本書は1980年代からコンピューターに触れてきた宗教学者の著者が、文明論的な角度から人類が向かう“明るくない未来”や精神的な影響を考察した一冊である。
AIの最大の特徴は、人間の知性・思考ではたどり着かない解決策を瞬時に提示することにある。ところが「なぜそうなるか」という因果関係を示すことはない。この仕組みによく似ているのが、イスラム教なのだという。
「イスラム教は『なぜそうすべきか』と問うよりも神(アッラー)への絶対服従なんですね。つまり、説明や理由はAIと同様、ブラックボックスの中に入っていて人間にはうかがい知れないわけです。自由ということに慣れている先進国の人間からすれば、かなり理不尽に思えるでしょうが、そのイスラム教が今、信者を増やしている現実があります」
特にヨーロッパではキリスト教が衰退、移民の増加も手伝ってイスラム教徒が増加中だ。
「そもそもヨーロッパにおけるキリスト教は信仰というよりも、生活や行動規範の面が強く、教会は地域共同体のまとめ役でした。それが、都市で生活する人が増え教会を離れると、まったく宗教とは関わらない“自由”な生活を送るようになります。無宗教というより、無神論者になるんですね。
これが意味するのは、彼らは、何のよりどころも持たない、ということです。人は自由が長く続くと意思決定が面倒になり、また不安を抱くようになるもの。決めてくれる存在、イスラム教かAIに頼ろうとする人が増えても不思議はありません」
自由を手放す代わりに安心を取る――、これを体現しているのが中国だと著者は言う。
中国は2014年から「ソーシャル・クレジット・システム(社会的信用システム)」の構築を始めており、支払い履歴から学歴、資産の保有状況までポイント化され、個人の信用度を格付けしている。
著者はこうした電脳監視状態を「デジタル毛沢東」と呼ぶ。
結果、実現したのが人々にプライバシーや自由はないが、治安は改善され、快適かつ安全な中国社会である。
「真逆を行くのが、日本を含む先進国です。人権やプライバシーが優先されるため、デジタル後進国になるというジレンマに陥っているんです。今や北朝鮮は中国をモデルとして市場を開こうとしていますし、東アジアが『デジタル毛沢東』化したら、日本はどうするか。単純化すれば、自由か安全かの選択を迫られているんです」
自由が制約された時代においては、自由に至上の価値を見いだしてきた。しかし、自由な時代が長く続けば、守り抜こうとする意欲は薄れる。それは民主主義についても同じだと著者は指摘する。
「世界全体がグローバル化し、資本やモノの自由な移動は実現されていますが、そこには規範となるものは存在しません。巨大システムがつながりネットワーク化したことで、自由でいることは安全ではなくなってしまいました。自由は孤独や不安ともつながっていますから、これから自由の確保というのは相当難しいでしょうね。事実、共謀罪や安保法案のキーワードは“安全”。今、まさに大きな流れが来ているのだと思います」
(祥伝社 820円+税)
▽しまだ・ひろみ 1953年、東京都生まれ。東京大学文学部卒業。宗教学者、作家。現在、東京女子大学非常勤講師。著書に「葬式は、いらない」「死に方の思想」「日本の新宗教」など多数。