第1話 じゃりン子チエは神 <1>
昭和40年男なんでね。申しわけない
「♪ せまる~ショッカー 地獄の軍団」
大好きな仮面ライダーの主題歌を歌いながら山田三男がフライパンで玉ねぎのみじん切りを炒めていると、次女の千春が帰ってきた。
「おう、おかえり」
三男は今日も明るい声で娘を迎えたが、中学2年生の千春は無言で鞄をテーブルに置くと、「ちっ」と舌打ちをした。
「ったく、武藤はなんやねん。あんな教え方で、ようも給料をもらっとるな」
数学の授業があった日、千春はたいてい機嫌が悪い。苦手だからではなく、得意科目だからこそ、先生の教え方が気に食わないらしい。
「武藤はな、クラスの半分以上が塾に通ってるって知ってるんや。せやから、教え方が雑やねん。ウチは自分でしっかり予習してるからついていけるけど、武藤の授業だけで教科書の内容を理解できたら、天才やで」
うがいと手洗いをしてダイニングキッチンの椅子に座ったあとも、千春の怒りはおさまらなかった。
「そのくせ、すぐにグループ学習をさせて、生徒同士で教えあえって言うんや。分からんもんに教えることこそ、教師の仕事やろ」
確かに正論だが、三男は千春にもっと思いやりを持ってほしかった。仮面ライダーは世界の平和を守るために、仲間たちと共に命がけでショッカーと戦ったのだ。千春も困っている同級生に手を差し伸べてほしい。
あまりに幼稚なたとえだと思いつつ、三男はさっきまで歌っていたノリで、自分の願いを伝えた。
「これだから昭和40年男はイヤやねん。根っからのノンキ坊で、皆で力を合わせて頑張れば必ずうまくいくと信じてるんやろ」
図星を突かれて、三男は一言もなかった。
「今の世の中はそんな気持ちじゃ渡っていかれないんや。おとうはんたちが育った時代とは厳しさの質がまるで違うねん。ヒーローものかて、喜んで見てるのは幼稚園児か、小学校の低学年までや」
自分だってライダーごっこを散々したじゃないかと言い返してやりたかったが、それでは千春がまた口をきかなくなってしまうと思い、三男は怒りを抑えた。
山田三男が生まれた昭和40年は前回の東京オリンピックの翌年で、日本は敗戦の痛手から立ち直り、高度経済成長へと向かおうとしていた。好景気の中で育ち、バブル経済崩壊後の不景気も経験したが、前後の世代に比べれば明らかに恵まれている。
「昭和40年男なんでね。なんとも申しわけない」
ある日、自嘲して謝ったところ千春がいたく気に入り、父親をやり込める時の決めぜりふになったのだ。
「そうだな。おれたち昭和40年男には、今の中学生が感じているしんどさは分からないんだろうな」
三男が負けを認めると千春も気が済んだようで、鞄を持って自分の部屋に入っていった。
ホッと息をつき、壁の時計を見ると、午後5時ちょうどを指している。ハンバーグのタネを作ったら、ゆっくり風呂に入ろう。このところ首の古傷がうずくし、肩こりもひどかった。千春だけでなく、22歳になる長女の美岬も、大手スポーツメーカー・コーガに勤める妻の莉乃も悩みを抱えていて、三男は毎日三者三様の愚痴を聞かされていた。いくら専業主夫でも、これではたまらない。それに体操の元日本代表選手としては、このまま人生を終えたくなかった。いや、絶対に一花咲かせてみせる。
「変身」
両腕を回して仮面ライダー2号・一文字隼人の変身ポーズを決めると、「とう」と言って三男は跳び上がり、見事なバック転を決めた。
(つづく)