「『日本の伝統』という幻想」藤井青銅氏
「日本古来の伝統」「先祖代々のしきたり」といわれると、守らなければと思いこみがちだ。実際には、昔からやっていたのか疑わしいモノも多い。
「初詣に成人式、重箱のおせち……伝統的といわれる儀式やしきたり、年中行事も実はほぼ明治以降に始まったものです。しかも多くは伝統を利用したビジネスです。例えば先祖代々の墓、葬式や法要の類いも、寺や葬儀社が儲かるためにやってきただけで、遡ってもせいぜい100年そこそこ。そんなに古くから続くものではありません。守らなくてもご先祖さまを裏切ることにはならないし、時代に合わなくなってきた伝統に縛られる必要はまったくないんですよ」
本書は、日本人が刷り込まれてきた「伝統」の正体を暴いた前作「『日本の伝統』の正体」に続く第2弾。第1部では伝統ビジネスを品よく揶揄しながらも、そのからくりと成功の秘訣を面白おかしく指南するという、皮肉が利いた内容だ。
「インチキビジネス本というか、ビジネス本のパロディーにしました。読んだら儲かりそうな気がするという(笑い)。ただ、伝統ビジネスを否定するつもりはないんですよ。逆にうまくやって、楽しく儲けて、私にも少しパテント料をいただけたら、と思うほど(笑い)」
日本人が弱いネーミングのパターン(旧国名をつけると伝統感が増す)や、日本人が好む時代(1つ前はダサく、2つ前以上はロマンになる)などの分析には膝を打つ。
第2部の「伝統マウンティング」編でも痛快な分析が続く。儲けを生むビジネスだけでなく、伝統を権威とする人のうさんくささと虚勢を看破する。
「伝統を『変えるな・従え・絶やすな・守れ』と発信する人、いますよね。要は『黙って俺に従え』と強制してくる“伝統マウンティング”の構図が必ずあるんですよ。為政者から国民へ、権力者から庶民へ、先輩から後輩へ、親から子へ。伝統はたいてい上から下へ発信されます。マウンティングされたほうは面倒くさいし、言うことを聞いているほうがラクだから反論しなくなる。でも『その伝統って、本当?』とモヤモヤしている人も多いんじゃないでしょうか」
例えば、「大相撲はいつから国技で神事で女人禁制なのか」「着物を着ていると見ず知らずの人が説教してくる現象(着物警察)」は、まさに伝統マウンティングの構図そのものだという。
「僕なりの解釈を書きましたが、落語、茶道、そば、歌舞伎などでも同じ。せっかく若い人や新しい考えの人が入ってきても、コアなファンや、継承者という自意識や使命感が強い人が潰してしまう。伝統にとってもよくない構図だと思うんですよ」
そもそも何をもって日本の伝統とするか、明確な定義もない。結局は言ったもん勝ちではないか。
「今、47都道府県のご当地新作落語をつくって、現地で柳家花緑さんが落語会を開催しているのですが、それを聞いた人が江戸時代の話にアレンジして、子供たちに聞かせたりしている。そうなると民話ですよね。語り継がれたら、それこそ伝統になっちゃう。伝統はこうしてつくるんだなあと(笑い)。つまり、伝統なんてそんなもんです。楽しければたくさんの人に受け継がれるし、つまらなかったら消えていく。ただそれだけのこと。政治でも商売でも、都合よく美化した伝統に酔いたい人がいて、やたらと日本の伝統を強くアピールする風潮がありますが、まずは疑え、という話です」
(柏書房 1500円+税)
▽ふじい・せいどう 1955年、山口県生まれ。作家・脚本家・放送作家。ラジオドラマや単行本執筆、タレントのプロデュースなど幅広く活躍。落語家・柳家花緑に47都道府県のご当地新作落語をつくり、落語会を開催する壮大なプロジェクトを敢行中。「『日本の伝統』の正体」「ラジオな日々」「『超』日本史」「」など著書多数。