「豆腐屋の四季」松下竜一著/講談社文芸文庫
“時の人”の滝川クリステルが「おもてなし」とスピーチする映像が繰り返し流れる。
それを“表なし”なら“裏ばかり”じゃないかと痛烈に皮肉ったのはお笑い芸人の松元ヒロだった。権力といちゃつかないホンモノの反骨芸人である。
笑いということなら、環境権を掲げ、九州電力の火力発電所建設を阻止しようと裁判に訴えた松下のそれも強烈だった。敗訴の判決が出た時、松下は「アハハハ……敗けた、敗けた」と書いた紙を表示したのである。
うなだれられるより、哄笑される方が相手は怖い。屈していないからだ。
「豆腐屋の四季」は「歌の型を借りた生活綴り方」だが、1964年の東京オリンピックの時に「朝日歌壇」の選者の近藤芳美がオリンピックの歌を1首も選んでいない、と指摘しているのは鋭い。
「そのことに私は近藤先生の姿勢を感じる。先生がいつも凝視しているのは、私たちの日々の現実生活そのもののようだ。たとえ首都に華やかに大会が展開されていようとも、私たちが繰り返すのは生きるための労働の日々なのだ。たぶん、近藤先生は頑ななまでにそこに凝視をしぼって、無数に寄せられたオリンピックの歌(その大部分はテレビを観て作られた歌だろう)を、全首裁断したのであろう」
半世紀以上経った現在も事情は変わらない。問題は近藤亡き後、近藤のような選者がいるかどうかである。
○ようやくに魚売りかえる峡の道 蕎麦畑光る月夜となりぬ
作者名は省かせてもらうが、オリンピックの歌が登場した週に近藤が首位に推した歌である。
「ここには、そうしなければ生きてゆけぬ生活者の現実がある。オリンピックの感興が薄れた今、私の胸にひそやかに沁みて拡がるのは、月に白々と光るそば畑の景だ。時流のおりおりのできごとの陰にいとなまれる平凡な生活の歌は、一見つつましやかに、しかも時流とかかわらぬ命長い叙情を細く絶えることなく保ち続けるのであろうか」
松下はこう述懐している。
○泥のごとできそこないし豆腐投げ 怒れる夜のまだ明けざらん
近藤が選んだ松下の「朝日歌壇最初の入選歌」である。まさに25歳の怒れる青年の生活の叫びだった。
★★★(選者・佐高信)