「愛国という名の亡国」安田浩一著/河出新書
自らもレイシストたちの罵声を浴びながら、ヘイトスピーチの最前線で取材を続けてきた著者のこの本は、現在の日本のいびつな姿を白日の下にさらけだす。著者が差別を憎むのは、その向こう側に、戦争と殺戮が見えるからである。
たとえば「小池百合子の知られざる沖縄蔑視発言」の節で、小池が衆院議員だった時、現沖縄県知事の玉城デニーに、議員席から、「日本語わかるんですか」とヤジを飛ばした事実を著者は挙げる。
また、小池は沖縄のテレビ局で同席した米国務省日本部長のケビン・メアとコンビニに入り、ビールを求めて、支払いをどちらがするかで軽くもめ、最後に小池が「思いやり予算よ」と言って支払ったという。そのやりとりを見ていた「沖縄タイムス」の記者は、屈辱のそれを悪い冗談にした2人に怒りで体が震えたのだった。
ここで私は「アジア留学生の父」といわれた穂積五一のことを思い出す。1981年の夏に79歳で亡くなった穂積は、大東亜共栄圏の理念を真っすぐに信じ、朝鮮や台湾の独立運動をしている人を助けて、自らも投獄された。彼らに対する拷問に抗議して、穂積は、「アイツらは人間じゃない。人間だと思うから、いらんことを言うんだ」と特高に怒鳴り返されている。
思想も嗜好も国粋的だった穂積は73年のインタビューで、「私のこの頃の実感は、だんだん自分が日本人から離れるんですよ。自然に離れるんです。アジアの人々に学んで暮らしていると、そうなるんです」と告白している。
アジアを食いものにして大きくなる日本の前途に激しい苛立ちと怒りを抱き、「俺がいなくなったら、日本の財界のアジアに対する姿勢はもっとひどくなるだろう。俺が生きている間に何とかしなければ」と言いながら、穂積が特に撤廃させようと努力したのは、技術研修の拘束契約だった。
技術研修は経済協力の一環として行われ、研修生の日本での総経費の4分の3は日本の補助金から出されるのに、帰国後の身柄を拘束するこの契約は、彼らにとって大変な屈辱だった。これに抗議して穂積は断食をし、そのために亡くなったといわれる。そんな穂積をネット右翼はどう思うのか。 ★★★(選者・佐高信)