「大阪 下町酒場列伝」井上理津子著
東京の下町といえば、「谷根千」に代表されるように、ある程度のエリアとイメージが確定しているが、大阪の下町にはそこまで確固としたエリアはないようだ。とはいえ、いわゆる下町情緒あふれる庶民的な場所はふんだんにある。本書は、梅田、ミナミ、天六、大正、千林、鶴橋、天神橋、阿倍野……など、「やすい」「うまい」に加えて四半世紀以上の歴史を刻んでいる下町風情たっぷりの居酒屋29店が紹介されている(値段、年齢等は取材時の2000年代初頭のもの)。
【あらすじ】トップは、大正の「クラスノ」。奈良県生まれの店主は数え15歳で大阪の饅頭問屋に奉公し、その後開拓団に参加し、旧満州へ。現地召集され、敗戦時にシベリアへ抑留。帰国後に大正で回転焼き屋を始めるが、その後、酒を出すようになる。
店名は抑留地のクラスノヤルスクから。とにかく安い。湯豆腐100円、「くわ焼きおまかせコース600円」。その値段と味に店主の80年の人生が詰まっている。
桜橋の「大輝」の女将さんの人生もなかなか。金沢の生まれで、芸者をやっていたおばあさんに育てられる。8歳で大阪まで呉服問屋の運び屋をし、貧苦の中、祖母をみとった後、35歳で大阪で店を始め1日3時間の睡眠でがむしゃらに働く。こちらも安くてうまい。コース料金を上回る土産を大盤振る舞い。さもしいのはイヤだといってのける88歳。そうしたおのおのの人生が巧みにすくい取られており、出てくる酒も肴もまたひと味違ってくるから面白い。
いかにも大阪だと思うのは、取材をしている著者の隣に座る常連さんたちが平気で話に割って入ってくるところ。そんな「いっちょかみ」も実にいい味付けとなっている。 <石>
(筑摩書房 1100円+税)