「京大吉田寮」平林克己・写真、宮西建礼/岡田裕子・文
退去問題にゆれる現役最古の学生寮「京都大学吉田寮寄宿舎」の今を記録したフォトドキュメント。
同寮の現在の建物は、1913年にそれまで利用していた第三高等学校寄宿舎(1889年竣工)をいったん解体し、その部材を再構成して造られた「現棟」(和室120室)に加え、2015年に旧西寮の代替地に完成した西寮(60室)で構成される。100年以上にわたって学生による自治で運営されてきた同寮だが、大学が老朽化による耐震性を理由に現棟で暮らす寮生に加え、西寮の学生にも退去を通告。寮の保存、存続を望む学生と大学側の話し合いは膠着状態が続いている。
寮をめぐる環境は予断を許さない状況ではあるが、ひとたびその建物に足を踏み入れれば、そこはこれまでと変わらぬ学生たちの日常の時間が流れている。
そのとてつもない歴史が積み重なった建物の玄関を入ると、黒光りした廊下が一直線に伸び、すすけた天井や壁など、古色蒼然としたその暗さに圧倒され、洞窟への入り口に迷い込んだような錯覚さえ覚える(写真①)。
寮生の居室は原則的に相部屋で、部屋の使い方は各自の話し合いで決まる。4人3部屋の場合、各部屋を寝室、遊び部屋、勉強部屋に割り当てるなど、使い方は自由だ。トラブルは誠実な話し合いで解決するのが決まりで、そのために「上回生には敬語を使わなくても構わない」というルールもあるという。
それぞれの居室は、学生寮らしく、あちらこちらに洋服がぶら下がり、こたつの上には缶やペットボトル、食器などが雑然と放置され、乱雑極まりない。しかし、なぜか懐かしさと心地よさを感じてしまう(写真②)。
廊下やトイレの壁のあちらこちらに、貼っては剥がされを繰り返してきたビラの残骸が建物と一体化しており、それはもはや一種の装飾のようでもある。そうした共有スペースは、居室の乱雑さに比べ、古さはあるものの清掃が行き届き、寮生たちがこの寮をとても大切に使っていることがうかがえる(写真③)。
寮生といっても住んでいるのは若者ばかりではない。59歳で入学した元銀行員は、安い寮費にひかれて入学試験の当日に見学した際に案内してくれた寮生に年齢制限についてたずねた。すると、その寮生は不快感を表し「ここは京都大学の吉田寮です。人を年齢や人種、性別で差別することがあるはずがない。そんな人に入ってもらわなくてもいいです」と言ったそうだ。その言葉に、合格したら絶対に入寮をしようと決意したという。
その学生の言葉がこの寮のすべてを言い表す。1985年には女子学生を受け入れ、現在、吉田寮の入寮資格は京都大学に在籍するすべての学生および、その者との同居の切実な必要性を寮自治会が認めた者となっている。
ページの終盤には吉田寮生の両親の間に生まれた晴れ着姿の女学生も登場。母親は産後、たくさんの寮生に生活を支えられ、みんながいるから大丈夫と思えたという。そしてその赤ん坊が成長して京都大学に合格し、寮生として吉田寮に戻ってきたのだ。
この寮で過ごした数年間の思い出はきっと卒寮生たちの人生の宝物になっているに違いない。
(草思社 2000円+税)