「続・秘蔵カラー写真で味わう60年前の東京・日本」J・ウォーリー・ヒギンズ著
1956(昭和31)年に初来日、その2年後から日本に住む根っからの「撮り鉄」アメリカ人が撮影した昭和30年代の東京と日本各地の鉄道、そして当時の日本の風景写真を編んだビジュアル新書。当時は超ぜいたく品だったカラーフィルムで撮影された写真は、今も色あせることなく60年前の日本の姿をリアルに伝える。
現在の地下鉄のように、かつて都心を縦横無尽につないでいた都電。銀座や新宿、渋谷などを走るさまざまな都電が撮影されているのだが、誰もが感じるのはそこに写る東京の空の広さだろう。街並みに高いビルが少ないゆえなのだが、今とはまったく異なる東京のその空の広さに隔世の感を抱く。
写真を見る限りでは、のどかに感じられるのだが、撮影された昭和30年代は、1964年10月に開催される東京オリンピックに向かって、新幹線や首都高、そしてモノレールなど、東京の至るところで工事が同時並行、急ピッチで進んでいた。
頭上で首都高新宿線の建設が進められる赤坂見附付近を走行する溜池線3系統(64年2月撮影)や、地下鉄工事の最中の晴海通りを走る築地線11系統(63年1月)、翌年の営業を控えた東海道新幹線の公開日に多くの人が集まり記念撮影に納まる人々(63年8月)などがそうした当時の活気を伝える。
一方で、東京駅を走行する蒸気機関車など、現代では到底考えられないような光景もある。写真が撮影された61年にはまだ東京駅にも常磐線を走る蒸気機関車が発着していたという。
他にも、開通の翌年に撮影された上野動物園の日本初のモノレール(58年6月)や、架線からパンタグラフで動力を得て走るトロリーバス(58年12月)などの姿もある。
鉄道が主役なのだが、そこに一緒に写る人々の服装や今ではクラシックカーになりつつある車たち、そして商店や電柱の看板など、すべてが興味をそそり、じっくり眺めているとなかなかページが進まない。
全国をくまなく回った著者の写真は、佐賀県を除く全都道府県に及ぶ(もちろん、佐賀も訪ね、鉄道にも乗ったが、その日はあいにく天候が悪く写真を撮らなかったのだそうだ)。
地方にも足を運んだのは一般的な鉄道よりも狭軌の軽便鉄道に関心があったからだという。人々の生活を支えたそうした軽便鉄道が祖国のアメリカではモータリゼーションの波に押され、すでに消えゆく運命にあった。本格的なモータリゼーションの到来からはまだ程遠かった昭和30年代の日本でも時すでに遅く、北海道の根室拓殖鉄道など乗ることがかなわなかった路線があったという。
鉄道写真の合間には、山形県蔵王(63年12月)や、長野県の上田の七夕(56年8月)、奈良公園(57年4月)などの名所や、各地で見かけた露店の風景など、544枚もの貴重な秘蔵写真を収録したボリューム満点の新書。鉄道ファンはもちろん、そうでない人も、60年前の日本へのタイムトラベルに出発進行
(光文社 1600円+税)