村田沙耶香氏 書き始めた日記が自分の小説より恐ろしいものにならないように
村田さんのあの小説って、ディストピアですよねと言われることがある。初めてそういう感想をいただいた時は、とても驚いた。私自身は、あえてディストピアを書こうとしたことはなかったのだ。私が少し変な設定で小説を書いてしまうことがたびたびあるのは、それが私にとってのリアリズムであるか、または小説の中に、自分だけの実験室をつくったような感覚か、どちらかだと、なんとなく自分では分析している。
前者は、私から見える「リアル」を、静物画を描くように、できるだけ忠実にスケッチしようとしたら、なぜか変な設定になってしまった場合だ。出来上がった小説は、読み手からは奇妙でも、自分にとってはとてもリアルだ。目に見えることをそのまま書き取るより、なぜだか現実に近く感じられる。後者は、今とは違うシステムの世界の中に人間を入れてみたら、どうなるのか知りたい、という気持ちから書いてしまった小説だ。実験室で実験するような気持ちで、水槽をいくつか並べて、架空の世界をつくる。その中のひとつに、人間を入れて、実際に生きてもらい、それをスケッチする。
どちらの場合も、私はまったく先を決めずに書くので、どうなるのか私自身にもわからない。設定も、書きながらどんどん変えてしまうことが多い。できるだけリアルに近づけるように、またはできるだけ人間が化学変化を起こすように願いながら、なんとか小説を完成させる。なんでこういう小説ができたのか、自分でもよくわからない、といつも思う。ただ、何かを「知りたい」という気持ちが、自分を突き動かしていることは確かだと感じている。
今、私は、私の小説でもまったく想像していなかった世界で、部屋に閉じこもってこの文章を書いている。いくら人間が必死に実験室で頭を働かせても、現実はそれをやすやすと飛び越える。そのことを、せめて文字にしておこうと、1週間前から日記を書き始めた。この日記が、自分の小説より恐ろしいものにならないよう、祈りながら過ごす日々である。
▽むらた・さやか 1979年、千葉県生まれ。2003年「授乳」で群像新人文学賞優秀賞を受賞しデビュー。09年「ギンイロノウタ」で野間文芸新人賞、13年「しろいろの街の、その骨の体温の」で三島賞、16年「コンビニ人間」で芥川賞受賞。著書に「地球星人」「生命式」ほか多数。
「消滅世界」村田沙耶香著
母親から「いつか好きな人と愛し合って、子供を産むのよ」と言われ続けて育った雨音。しかし小学4年生の時、自分が両親のセックスによって生まれた珍しい子供だと知る。
雨音が住む現世界は、人工授精で子供を産むことが定着した世界。戦後、人工授精の研究が進み、今や交尾する人種はほとんどいない。交尾の名残の発情状態になるとマスターベーションで処理するのだ。
母を嫌悪しながらもやがて雨音もヒトの恋人を持ち、セックスをするようになる。そして2度目の結婚後、夫の要望で2人は実験都市・楽園への移住を決意する。そこでは子供たちを育てるのは親ではなく、新しいシステムだった――。
家族は「清潔」なもので夫婦のセックスが“近親相姦”になる「異世界」が舞台。確率の高い人工授精、恋愛の消滅、優秀な子育てなど、合理性を追求した結果、待ち受ける世界が恐ろしい
(河出書房新社 630円+税)