倉阪鬼一郎(作家)
10月×日 川崎市で行われたトライアスロン大会に参加。今季はコロナ禍でシーズンインが10月だったが、一戦だけでも出場できて来季につなげることができた。
10月×日 入不二基義著「現実性の問題」(筑摩書房 3200円+税)を読む。現役のアマチュアレスラーでもある異色の哲学者の主著となる1冊を、トライアスロンのような異種格闘技のテクストとして読んだ。まずはイメージ豊かな詩だ。そもそも私には論理的な頭脳が致命的に欠落している。にもかかわらず大森荘蔵や永井均などの独我論系の哲学を折にふれて繙いてきたのは、ひとえにポエジーに接したいがためだった。
「一番外側で透明に働く『現に』という現実性」このイメージだけでも読んだ甲斐があった。
哲学・ポエジーに続く3種目めはアートだ。黒塗りが多用されたp138―139の図を見た瞬間、思わず声が出た。本文をわかりやすくするための図ではあるのだが、もはやアートの領域にまで昇華している。随所に挿入された図だけ抽出すると現代アートさながらの光景になるだろう。
10月×日 沢山遼著「絵画の力学」(書肆侃侃房 2700円+税)を読む。「現実性の問題」からアートつながりというのは無理筋っぽいが、この2冊には共通するキーワードがある。
「現実性こそ神であり、それは『一全多』である」
『現実性の問題』はそんな一文で結ばれる。
一方、『絵画の力学』の序はこう締めくくられる。
「『一』であると同時に『多』であるところの芸術、意志と方向をもつ芸術、客体化された一個の思考・思想としての芸術。作品を知覚すること、批評することの出発点に、こうした芸術の力学を置くことから、本書は始められる」
一にして多である芸術。冒頭にジャクソン・ポロックが据えられているのは多分に象徴的だろう。バーネット・ニューマンのフィールドとジップのせめぎ合いについての論考などはことにスリリングだ。