「生と死を分ける数学」キット・イェーツ著 冨永星訳
「数学」と聞いただけでアレルギー反応を起こす人も多いが、実は我々の日常生活において数学は意外に深く関わっている。遺伝子の欠陥によって体が不自由になった患者、誤ったアルゴリズムのせいで破産した企業経営者、数学が誤解されたばかりに財産を失った投資家、さらには大統領選の予測や「黒人の命は軽くない(ブラック・ライブズ・マター)」の数学的うそなど、本書には数学の影響を大きく被った人や事例が紹介されている。ちなみに図表はあるが数式は一切ないのでご安心を。
著者の専門は数理生物学。数理生物学とは、数学的手法を用いて生物学・生命科学の問題を解決する学問のこと。例えば、感染症が流行してから終息するまでの経過を数理モデルを用いて予測するのもこの学問だ。
本書第7章「感受性保持者、感染者、隔離者」は新型コロナウイルスこそ出てこないが(原著の刊行は2019年9月)、天然痘、HPV(ヒトパピローマウイルス)などを例に、その感染拡大の数理的モデルや集団免疫を獲得するための数学的条件が示されている。
また第2章の乳がんにおけるスクリーニングの偽陽性、偽陰性をめぐる論議は、現行のPCR検査の問題にも共通しており、今後の新型コロナウイルス対策を考える際に有用である。
恐ろしいのは、一見、科学的信ぴょう性をまといながら間違った方向へと世論を誘導してしまうことだ。それが裁判の場で行われたケースが紹介されている。イギリスのサリー・クラークは2人の乳児を突然死で相次いで失った。検察は1つの家庭で2人の子供が突然死する確率は極めて低いという理由でサリーを殺人容疑で起訴し、陪審員もそれを信じて有罪判決を下した。しかし、実はこの確率計算は全くの誤りだった。後に原判決は破棄されて釈放されたが、サリーは獄中生活と冤罪をかけられたことによる精神的苦悩でアルコール中毒になって死んでしまう。
ネット上には各種の数字のまやかしやウソが氾濫している。そうしたフェイクにミスリードされないためにも本書は必読。 <狸>
(草思社 2200円+税)