「満天の花」佐川光晴氏
「以前、日露戦争後の日本を舞台にした『日の出』を書いたときに、日清戦争についても調べてたんです。すると当時の有名人で勝海舟だけが日清戦争反対を公言し、しかも列強国の動きをピタッと当てていて、すごいと感心したんですね。ほかにも、歴史の要所要所に彼が出てくる。それで勝に絡めてスケールの大きな物語を書いてみようと思ったんです。ただし、勝は主人公じゃない。長崎の出島育ちの女の子を勝専属の通詞(通訳)につけ、彼女から見た幕末を描きました」
「おれのおばさん」シリーズといった青春小説や、家族の物語を数多く手掛けてきた著者の最新刊は、幕末を外交の視点から捉えた時代小説。幕末から明治にうつる激動の世を、主人公・花が自らの才と度胸で人生を切り開いていくさまとともに描いていく。
時は安政3(1856)年の長崎。オランダ商館員と遊女の間に生まれた青い目を持つ12歳の少女・花は、出島で商館員たちからオランダ語や英語を学び、ひっそり暮らしていた。そんな中、海軍伝習生として勝麟太郎が長崎にやってくる。語学の才能を見込まれた花は勝の専属の通詞となり、行動を共にするようになる。
「日本は一歩間違ったら植民地になっていたといわれるけど、上海や香港がそうだったように、狙われるのは平面ではなく要所なんですね。私は北大生だったこともあって、以前からなぜ広大な蝦夷地がたった1カ所ですら、外国に取られなかったのか不思議に思っていました。で、今回調べて分かったのは、蝦夷地が租借されかけたことがあったと。それ以上に危なかったのが対馬で、ロシアかイギリスに取られてもおかしくなかったんです。日露修好通商条約を結んだ直後、9隻のロシア艦隊が江戸に向かい、樺太を脅し取ろうとした。その2年後には、ロシア艦隊による対馬での不法逗留がありました。しかし、いずれも勝の活躍で解決に至ったんです」
著者は勝の一番の強みは巧みな交渉術、そして敵方にも信頼された点だという。物語では、シーボルトやアメリカ総領事のハリスら、一度は聞いたことのある人物たちが登場するが、勝と花は彼らと世界情勢について意見を交わすなど、西欧列強の中、対等に渡り合う姿が描かれている。
■500ページ超えの幕末大河
特筆すべきは、こうしたやりとりも史実だという点。日記や手紙など膨大な資料の記述を照らし合わせ、会話や行動を導き出した。
「読者から『花の写真は残ってないんですか』と聞かれたことがあるんですが(笑い)、花だけが私の創作で、ほかはすべて実在の人物。歴史的事実も曲げていません。今回、資料を読みこんだことで、ぺリー来航がいつ長崎に伝わったのかなども正確に分かって面白かったですね。花を登場させて良かったと思うのは、通詞として外国人同士の生の声を聞いたことにできたこと。日本側から見た外交を描こうとすると、外国人は“ひと塊”になってしまいますから」
時には勝に内緒で上海へ向かいイギリスの方針を聞き出し、プロシアと蝦夷地開墾条約を結んだ榎本総裁に対しては「なんと浅はか」とタンカを切るなど、日本の将来を左右する要所での活躍は大きな読みどころ。勝の日本に対する思いが花自身の思いに重なっていくさまが伝わってくる。
「勝が偉かったのは、日本の土地を一度も租借地として渡さず、西郷に託したこと。土地さえ外国に渡していないのであれば、どちらが引き継ごうが構わないという発想をもったところが勝と花の役割です。男でも女でも自然に器量が大きくなっていくときがあります。自分にどういう影響があるのか分からない場所に出ていくことは大事なことで、そこを乗り切っていく。スケールが大きくなることを恐れないでほしい、という思いを花に託しました。勝や花はそうやって明治維新を乗り切ったと思うんです」
花の恋の行方も描かれる。500ページ超えの幕末大河だ。
(左右社 2530円)
▽さがわ・みつはる 1965年、東京生まれ。北海道大学法学部卒。著書に「生活の設計」(第32回新潮新人賞)、「縮んだ愛」(第24回野間文芸賞新人賞受賞)、「おれのおばさん」(第26回坪田譲治文学賞受賞)、「大きくなる日」ほか多数。